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学校の教師と塾の講師と小心的評論家

東京都杉並区立和田中学校で、学習塾の講師を迎えた授業をやるそうですね。なんでもかんでも学校の教師に押し付けるのは限界があるし、時には学校以外の外部の風を注ぎ込ませるのもいいかもしれません。学校も塾のノウハウを取り入れて、子ども達の学習や生活指導を工夫するのもいいかもしれません。

教育評論家の尾木直樹氏は、学校に塾の風を吹き込ませることに否定的のようですが、もう少し寛大に考えてみては?という気もします。

http://www2.odn.ne.jp/~oginaoki/weekly2007.12.html

私は学校の教師を塾や民間企業に一定期間出向させるなどして、学校外の様子を学習させるべきではないかと思うくらいです。それをしないのなら、外部のノウハウを取り入れて自分達なりにアレンジして学校運営を改善していくのも一つの手ではないかと思います。和田中学の取り組みはまだ、初めの一歩を踏み出したに過ぎません。今回は成績上位の子だけを対象にしたようですが、基礎学力のない子を特訓することにも取り組んでほしい気もします。それが塾を利用するか否かは学校の判断でしょうけど。

それから尾木直樹氏は、子どもが先生を見る目も変わり、塾の講師を学校の先生より上に見てしまうだろう」と述べていますが、何か小心な考えに思えます。何故、子ども達が塾の講師を学校の教師より上に見てはいけないのでしょうか?もし、そう思うようになったら、学校の教師は、塾にはない良さを創り出し、子ども達にわからせようと努めるべきではないでしょうか?学校ならではの良さと塾ならではの良さとを組み合わせた教育を構築してはいけないのでしょうか?

それと、いかなる場合でも「学校の教師は塾の講師より上」という見方をしなければならないのでしょうか?そんな価値観を子どもに植えつける教育が適切なのでしょうか?

この考えは、憲法14条「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」や憲法22条何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」に反しているのではないでしょうか?

それとも、尾木氏は塾講師を「公共の福祉に反した職業」と決め付けているのでしょうか?ちょっと情けなさを感じます。

いずれにせよ、尾木直樹氏は小心者的な間違いをしています。

塾の経営者は和田中学の例を機に、学校とのコラボレーションなり、共同事業、共同教育についていろいろと考え、どんどん提案していくべきだと考えます。ただ、特定のできる子だけに偏らず、まともな基礎学力のない特訓教室的なものも提案してほしいと思います。

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コメント

TBありがとうございました。

学校の教師と塾の講師は、どちらが上、どちらが下ではなく、ある意味ではそれぞれに役割があるのかもしれませんね。

塾の講師は、どちらかというと学力UPのためという意味合いが強いのに対し、学校の教師は学力面での指導はもちろんですが、それ以外の学校生活、部活動、社会活動等を通して、子供たちに学力だけではない大切なものを教育する役割も担っているのではないかと思います。

キヨさん、コメントありがとうございました。これからの教育は学校と塾との連携なり、コラボレーションも一つの手段になるかもしれませんね。杉並区立和田中学も、まだまだ改善の余地があると思いますが、その第一歩を踏み出したとも捉えられます。少なくとも、塾を敵対視したり、塾悪玉論を唱える人は、ちょっと心が狭いように思えますね。

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